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えりもの春には何がある?-DAY2 前編-

朝起きると、空はまだ雲に覆われていましたが、遠くには青い空が見えます。宿泊したのは田中旅館さん。襟裳漁港が目の前のオーシャンフロントの宿で、窓を開ければ海鳥の声と波の音。窓際で海を眺めて、もう少しゆっくりしていきたいなと思いましたが、えりも探索は今日が本番。準天然のトロン温泉でひとっ風呂浴びて2日目のスタートです。

出発して車を走らせていると、あっという間に雲は流れ晴れ間が広がっていきます。気づけば広く青い空。今日は風も穏やかで、絶好のドライブ日和です。

景色を眺めていて気付きましたが、えりもの風景は他の日高地方とは雰囲気が少し違います。日高地方の海岸線は隆起した地形が多い印象ですが、えりもはゆるやかな丘陵地形。背の高い樹木も少なく、視界はひらけています。日本屈指の強風地域という気候や、日高山脈が太平洋に沈み込んでいく場所という地理地形。そんな特殊な条件が、この土地独自の景色を生み出しているようです。運転していて楽しかったです。

えりも中心部から15分ほど車を走らせていると、「百人浜」という看板が目にとまりました。百人浜といえばサーフスポットとしても有名ですが、道路沿いから海は見えません。せっかくなので車を停めて、案内に従って防風林の間の散策路を進んでいきます。数分歩いたところで、ビーチに到着しました。

百人浜というくらいだから、人がたくさん来ても大丈夫なほど広いはず!と思っていましたが、予想通り広く長い海岸線。けれど、その名の由来は予想外でした。この美しい百人浜には、悲しい歴史がありました。
以下は、えりも町の観光サイトから引用です。

襟裳岬から十勝方面に約10キロメートル続く砂浜「百人浜」は、その美しさとは逆に悲しい言い伝えが残されています。その昔、海の難所として知られる襟裳岬周辺海域で、南部落の大型船が遭難し多くの水死体がこの浜に打ち上げられ、わずかばかりの生き残った人も、飢えと寒さで亡くなったというもの。その数が100人にもなったため名付けられたといいます。(観光サイトページ

お寿司屋さんでもらったこれは、えりも名物の「ちょうちょ貝」です。えりも町の海岸で見られるオオバンヒザラガイ の殻で、蝶の形に見えることからこう呼ばれています。
アイヌ語では「ムイ(蓑の意)」と呼ばれ、食用にもされています。加工したらアクセサリーにもなりそうな綺麗な色と形。
百人浜でも見つけられるかもしれませんね。

歴史といえばもうひとつ。散策路を歩いていると、こんな看板がありました。

かつてのえりもは、カシワやシラカバといった樹木の原生林に覆われていたそうです。それが、明治期には燃料伐採や家畜の放牧のために、原生林はどんどん減少。昭和初期頃になると砂漠化が深刻な問題になっていました。「えりも砂漠」とも言われていたそうです。その後、対策として緑化事業も始まりますが、この地域ならではの強風の影響で、その道のりはとても困難なものだったそうです。緑化事業は事業開始から70年がたった今も続いてます。

別日の取材の折、百人浜の展望台に立ち寄りました。展望室からは百人浜はもちろん、植樹活動の様子がよくわかります。
階段の壁に資料展示されているのは、植樹にまつわるえりもの歴史写真。えりも砂漠と呼ばれた所以が、確かにわかる写真でした。えりも緑化事業の50年をまとめた冊子も置いてあり、「夢は砂漠化しない」というタイトルが力強かったです。こちらは持ち帰ることができます。

百人浜を後にして、再びドライブ。気づけば、そろそろお昼時です。気ままに巡る今回のえりも旅ですが、実はランチスポットだけは訪れる前から決めていました。それは高橋牧場が運営するファームレストラン「守人」です。念願の「えりも短角牛」を味わいに、お店へ向かいます!

Day2 中編に続く

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