ただ草を食む馬の前で

8月29日に新冠の判官館で開催される、「コズミック祭り2026」のInstagram担当の橘優生さん。
東京と日高を往来するなかで、感じたことや気づいたことを綴っていただきました。
ただ草を食む馬の前で
「最近、忙しそうね」
そう聞かれるたびに毎回、返答にコンマ何秒かのラグが生まれる。
休みはある。仕事も好き。東京の美容整形外科で働き、家に帰ればまた別の仕事(と便宜上周りには説明しているけれど、実際はただ心の赴くままに動いているだけ)に取りかかる。
いつからか日高コズミック祭りのInstagramアカウントを運用するようになり、リール用の動画を編集し、DMに返信し、日々下書きをつくり、気づけば心地よい疲労を連れて日付が変わっている。
忙しいねとは言われても、心配されることも、不幸そうだねと同情されることもない。
だから、私はまだ大丈夫だと思っていた。
疲れている人間というのは、部屋を散らかしたり、まともにものを食べなくなったりして、わかりやすく壊れていくものだと思っていたからだ。
北海道の日高地方は、もう「初めて訪れる場所」ではなかった。三度目か、四度目か。正確なカウントすら曖昧になるくらいには、道に見覚えがあり、通りすがる人に名前があった。
もともと競馬が好きで、競走馬たちの生まれ故郷でもあるこの場所に惹かれていた。
今回の訪問は単なる旅や観戦ではなく、初夏に始動したSNSの素材撮りが目的だった。
8月に開催される祭りのアカウントを任されてからというもの、私は東京にいながら毎日のように、誰かとやり取りをしていた。
名前も顔も知っている。少しずつ土地の輪郭を覚えるように、日々届く動画の中の世界は、確実に自分の中に馴染んでいく。
けれど、一度も直接会ったことがない人や訪れていない場所が、そこにはまだたくさんあった。
初日の夜、えりもからの帰り道で車窓を眺めていた。
漆黒の空と、境界線の溶けた真っ黒な海。そこに浮かぶ月が、穏やかな海面に一筋の光の道を伸びやかに描いていた。
初めて日高を訪れたとき、心を奪われたあの静謐な光景と全く同じだった。東京にはない、孤独さえ肯定してくれるような黒。
翌朝9時、「山の家」のお向かいの牧場を訪れた。
馬という生き物は、いざ目と鼻の先に現れると、想像よりもずっと静かだった。
耳に届くのは、草を噛み千切る音と、尻尾で虻を振り払う音だけ。風が吹き抜け、遠くでニワトリが鳴く。
東京にいるときの私は、静寂に耐えられない。
気づけばスマートフォンを開いている。
通知、返信、再生回数。
閉じては開き、開いては閉じる。
けれど、その朝だけは、通知に気を取られる理由が見つからなかった。
馬は、誰かに見られるために草を食べているわけではないし、私もまた、誰かに自慢するためにそこに立っているわけではなかった。
お互いに初めましての者同士で、ひとまず邂逅した。
町を歩くと、何度も名前を呼ばれた。
「橘さんですよね、インスタ見てます。いつもありがとうございます」
不思議な感覚だった。私はただ東京の部屋で液晶画面に向かって文字を打っていただけなのに、その向こう側には解像度の高い「人」がちゃんと存在していた。
インプレッションやフォロワー数という数字ばかりを追っていたけれど、実際に積み重なっていたのはアルゴリズムではなく「会えてうれしいです」という一言だった。
歓迎される、という感覚を久しく忘れていたことに気づかされる。東京にはない感情。
セレクションセールの日の静内は、暴力的に暑かった。
血統書を握りしめた大人たちが買い求める熱気の中で、暑さは人を少しだけ幼くし、疲労は人を少しだけ自分勝手にする。
些細なことで言い合いになった。原因すら思い出せないほど、傍から見たらしょうもないこと。
帰り道、自分の余裕のなさに嫌気がさした。今の私は、何に対しても「余白」がない。予定が数分狂うだけで焦り、他人の何気ない一言が針のように刺さり、冗談やからかいを受け流せない。
ずっと、目に見えない何かに急き立てられていた。
最終日の朝。
一番楽しみにしていたホロシリ乗馬クラブへ向かう予定だった。
暑くてイラつく日々の中で、「ここを乗り切れば北海道がある」と自分に言い聞かせてきた、私にとってはお守りのような場所。
なのに、私の目を覚まさせたのは、土砂降りの雨音だった。
みんなの溜まり場である「山の家」の朝。
祭りの主催者でもある詩人の御徒町凧さんに、「言ってもしょうがないのだけど」と前置きをして、乗馬が中止になったことをぽつりと漏らした。
気の利いた一言を期待していたわけではないのだけど、言いながら、唐突に涙が溢れ出してきた。
乗馬ができなかったからじゃないし、
雨が降ったからでもない。
誰かが作った温かい場所で、こぼした言葉を静かに受け止めてもらった瞬間、ずっと張り詰めていた糸がプツリと切れてしまったのだ。
ああ、私は疲れていたんだ。涙の方が、自分より先にそれを知っていた。
帰りの飛行機で、カメラロールを遡る。
馬がいて、海があって、詩人が走る姿がある。そして時々、不器用に笑っている自分が写っていた。
東京に戻れば、またいつも通りの日常が私を回収する。
スマホの通知は定期的に鳴り、締め切りは次々と押し寄せ、同級生の子どもは会うたびに大きくなっていく。
結婚しないの?という余計なお世話な質問を受けることもあるだろう。
望んで独身でいるわけじゃない。「誰にも選ばれなかったんでしょう」と言われたとき、「違います」と言い切れるほど、私は強くない。
そういうやりきれない夜は、きっとこれからも訪れる。
それでも、私は日高で過ごしたあの数日間を思い出すと思う。
馬は、私が何歳なのかを知らない。
独身かどうかも、どんな仕事をしているのかも知らない。
ただ、目の前の草を食み 、風を受け止めていただけだった。
海はただ海としてそこにあった。
世界は、私が思っていたよりも、ずっと私に興味がない。
その静かな事実に、私はどうしようもなく救われたのだ。
日高は、私の人生を劇的に変えてはくれない。
けれど、あたたかな熱量に満ちたあの祭りの中に身を置き、不器用に人と重なり合うことで、知らず知らずのうちに固くなっていた自意識の結び目が、少しだけ解けた気がした。
私が画面越しに誰かへ渡したかったものも、ただの数字や情報ではなく、こういう「理由のない緩やかさ」だったのかもしかもしれない。
東京の喧騒へと引き戻されても、私のなかにはまだ、日高の静かな黒い海と、あの日吹いていた風が残っている。