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26年越しの邂逅「僕と彼とピーマンと」 第1話

今年の夏頃から、広島県・安芸高田市議会の様子がYoutubeはじめ各種メディアを賑わせています。安芸高田市は少子高齢化と過疎化が著しい状況にあり、財政健全化に向けて議会に切り込む市長と旧態依然を引きずる議員とのバトルは、どこか半沢直樹を思わせるエンターテイメントの要素もあり、多くの人を惹きつけているようです。

読者の皆さま、はじめまして。Hi-MAG編集部の徳山です。
2010年代から人口減少期に入った日本において、安芸高田市のような状況は普遍的な地方行政の姿でもあり、北海道・日高地方(日高町、平取町、新冠町、新ひだか町、浦河町、様似町、えりも町)では昭和35年の12万人をピークに人口は減少の一途をたどり、現在は半減し6万人となっています。

北海道・日高地方の情報を発信していくウェブマガジン「Hi-MAG」は、北海道観光の未開地とも言える日高地方を多くの方に知ってもらい、訪れてもらえることを目標に、食や名所などの観光情報だけでなく、日高に暮らす「人」にスポットを当て、地域の魅力を掘り下げていきます。「Hi-MAG」を通して日高地方に関心を持つ人が増え、地域の振興につながっていくことを願っています。

僕は札幌出身ですが、2007年から2020年までシステムエンジニアとして東京に勤めていました。家庭の様々な問題もあり2022年に新冠町へ移住し、Hi-MAGの立ち上げに携わることになりました。中学の頃から文章を書くのが好きで、漠然と記者やジャーナリストに憧れがありましたので、この役回りには不思議な運命を感じています。

そんな僕の初めての記事は高校時代の旧友との邂逅について、新冠に越してきてまだ間もない2022年の夏の回想から綴っていきたいと思います。

第1話 広報にいかっぷ

2022年の夏、札幌から新冠へ移住して間もない頃、地域のことを知るために「広報にいかっぷ」のバックナンバーに目を通していたときのことだった。誌面を延々と遡っていくと、ある文字が目に飛び込んできた。2014年4月号の記事の中に「立桶奏(たておけそう)」という名前があったのだ。農業支援員の卒業生を紹介している記事の中で、彼は卒業生第1号として紹介されていた。

「立桶」という特徴的な苗字と、洗練された雰囲気を持つ「奏」という名前。間違いない。高校の同級生だった立桶くんだと確信した。ただ、当時の彼とは特に親しかったわけではない。高校を卒業して26 年が経つが、その間一度も連絡を取っていなかった。

母方の祖父にとっては初孫だったこともあり、僕は幼少期から過大な期待をかけられて育った。厚岸町で建設会社を経営する祖父は勉学もスポーツも仕事も(僕視点では)完璧な人間だった。同じような人間になることを期待されているのだと思い、中学に入ってからは寝食以外の時間はほぼ勉強に費やした。それでもオール5には遠く及ばない成績に絶望し、中学3年の頃には完全に挫折した。

まだ社会を知らず視野の狭い当時の僕は自分のやりたいことを考えるよりも、進学校に進んで国立大学に入り一流企業に入るテンプレ的エリートコースを歩んで祖父に褒めてもらうことが最優先だった。

中学卒業後は通学に1時間以上かかる石狩市の高校に進学した。自分を知っている人間に会いたくなかったからだ。高校に入って何か変わるわけもなく、当時の僕はやる気の出ない日々を過ごしていた。交友関係は浅く、何事も適当にやり過ごす。時間が早く過ぎることを待つような高校生活…。そんな僕にも、立桶くんは屈託のない笑顔で接してくれた。立桶くんはクラスのムードメーカーで、保阪尚希に似た容姿も相まって眩しい存在だった。

その立桶くんがなぜ札幌から遠く離れた新冠の山奥・里平でピーマン農家をやっているのか強く興味が湧いた。会いに行こうと思った。さして親しくもなかった高校の同級生が突然訪ねていったら彼はどんな反応をするだろう?怪し気な勧誘と疑われても仕方がない。だが僕は衝動を抑えることができず、その週末ににいかっぷキッチン「ミルト」のプリンを手土産に、山へ向けて車を走らせた。

(次回に続く)第2話はコチラ!