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となりの二風谷#2
ウレㇰレク

 アイヌ民族は元来、文字を持たなかった。文字を使わなかったということは、文字以外の表現方法やらツールやらがあったということで、「ない」ことは良し悪しを図る尺度には全くならなくて、むしろ「ない」からこそ、それ以外の部分が豊かになっていると考える方が自然だ。

 筆者にとってのアイヌ文化のメンターであるマヤちゃんは雑誌Trouble makers創刊号でこんなふうに言っている。

“文字中心社会が嫌いなんですよね。文字っていう強い制約を介して何かを伝えるって。文字ってすごく強いもの、一生残るものだと思います。それで、戦後に読み書き計算できるようになりましょうっていう風潮から、金閣寺を鹿苑寺って書かないとバツになるような、バツが増える社会になってきたのが文字中心主義だなと思うんです”

               トラブルメーカーズ・パブリッシング, editor. Troublemakers, no. No.1, 2024年5月

 文字化して、定義が確定してしまうと、引かれた境界線のすぐ隣にある外側もばつんと切り落とされてしまうのかもしれない。話し言葉はもっと感情の“あわい”を持っているのに。文字化すると定義の解像度は上がるけど、曖昧なものがなくなる。人間が、感情を口から出して言葉にして、言葉を文字にして分類する。輪郭を可視化しようとする工程の変換作業の間にこぼれ落ちるものは多分、たくさんある。

 文字で括るとこぼれるものがあれば、もっと「川上」の話で、言葉で括るとなくなるものもあるのだろうか。

 「日本語には存在する言葉が、アイヌ語では元々は特定の言葉を持っていないこともある」とマヤちゃんが話してくれたこともある。例えば「愛」という言葉はアイヌ語に元来なかったという。では昔のアイヌが家族や仲間に愛を持っていなかったのか?とは、考えるまでもないだろう。特定の言葉がないから、枠を作らないでいられる。特定の言葉がないから、その「こと」を考えていない、ということではない(現代の日本語の「愛」の概念だって導入は近代だ)。逆も然り、アイヌ語でしか表現できないものもあるが、そもそも言葉がないことはその「こと」が存在しないことを意味しない―――そんな風に筆者は受け取った。

 「うまく言語化して人に伝えないと意味がない。きれいにまとめて要約して共感を得ないといけない」という考え方は効率的で“今っぽい”けど、そう考えると余白がなくて窮屈に思えてくる。というよりぶっちゃけクソダサい。括りがない、定義づけがない、表現する文字がないということをもって「ない」と決めつけるのは傲慢だし、それこそ言葉になっていないものがなかったことになってしまう。本質、“世界は分けてもわからない”のだ。

 アイヌが文字を持たない民族だったからこそ、歌や踊りがより重要な意味を持っていたことは想像しやすい。24年6月15日、沙流川沿いの、二風谷ダムよりやや川上の川岸の野外ステージで「ウレㇰレク」が開催された。毎年この時期に開かれる、地域住民や二風谷とつながりがある人たちが出演する音楽祭だ。筆者は数年ぶりに見に行くことができた。

 野外ステージを会場にするのは今回が2回目。傾斜がかった芝生の底辺にステージがあり、背中には沙流川と、川向うの山並み。開放感しかない。主催の平取アイヌ協会青年部が出す出店や、近隣からのキッチンカーで飲み物や食べ物を買って、傾斜の芝生に座る。さっき買ったビールを飲んでいるので、今日の勝ちは確定している。今日は良い日だ。この後、夕日も追いかけてここにやって来る。

 午後4時過ぎ、司会のリョウ君がマイクで話し出した。「目的はアイヌ文化を伝えること。でも一番は皆さんが楽しむこと。飲み食いしながら発表を楽しんでって!」。続けて、青年部長でハンターのモンちゃんが「始まりだー!」と宣言し開演した。

 最初に登場したのは「アイヌ語教室こどもの部」。「森のくまさん」など計3曲をアイヌ語で歌い、チャㇰピヤㇰ(アマツバメの舞)、ハラㇻキ(鶴の舞)も元気いっぱい披露。最後にアイヌ語でなぞなぞを出してくれた。

 このイベントの名前は、まさにアイヌ語のウレㇰレク=なぞなぞ/なぞ掛け合いから来ている。レクが鳥のさえずりを意味することを音楽イベントにかけ、子ども向けでも大人向けでもアイヌ語教室の講師を務めるケンジさんが命名した。

 2組目はヒップホップダンスグループの「BAZZE(バッズ)平取」。苫小牧のダンス教室が24年1月から平取でも教室を始め、今回は所属する幼稚園児、小学生約20人がオン・ザ・フロア。平取支部として初めてのステージだった。M.O.P「Ante Up」、Naughty by Nature「Hip Hop Hooray」、Eric B. & Rakimなど往年の名曲に合わせフレッシュな踊りを見せた。MCのリョウ君や、その姉で教室の先生を務めるサツキさんらも切れのあるムーブで魅せた。

 同行したHi-MAGプロデューサーのKさんは涅槃仏スタイルで草っぱらに横になっていた。時折目をつむり、視覚以外の感覚を開放しているようにも見えた。寝たのかな?とも思ったが、そういうくつろぎ方が大いに許される空間だった。映画館やプラネタリウムでうとうとするような、あるいは祭りや、親戚の集まりでわいわいしているすぐ横で眠るような、そういう非日常空間で「楽しい空気の予感」に包まれて寝る多幸感。ショーが良くない、ということではなく、あの空気と陽気の中で寝転んで目の前でパフォーマンスが行われていたらそれは不可抗力だと言いたくなる。

 続いて「川上さやか」。サヤカちゃんは出身は札幌だが、母親が二風谷の出身と育ちで、幼少期からよく二風谷に遊びに来ては叔母さんの家で歌や踊り、手仕事を習っていたという。「この辺にルーツがあるんですけど、二風谷に呼んでもらってこうして歌うのは初めてなんですよ。私の家族とかが歌ってた歌を、二風谷の先輩たちはみんな知ってる中で私が歌うので、よそで歌うより緊張しています」と、おばあちゃんが歌っていた子守唄や、自身で勉強した平取のウポポ(座り歌)などを披露した。

 サヤカちゃんの歌声は話し声と大きく違い、抜けるような高音だ。歌声に巻き舌でrrrrrrrrrと発する独特の発声方法(ホロㇿセなどと呼ばれる)も相まって、聴き手側に存在しない記憶まで呼び起こして郷愁を誘う。

 余韻を場に残してムックリ(伝統的な口琴)を取り出した。竹製で、弁を振動させた音を口の中で増幅させる楽器の独特な音色からは、トランス状態へ入るための入口の「におい」がしてくる気がする。めったに出合えない類の音だとずっと思っていたが、すでに知っていて好きな音と似ていると気づいた。筆者にとってはダフト・パンクだ。

 「Harder Better Faster Stronger」に代表されるような“ロボット・ボイスみ”がムックリにはある。さもありなん、調べてみたらどちらも倍音成分が濃い音だった。もっと遡れば、Zapp & Rogerに代表されるような80年代ファンクっぽさまで感じる。さらにもっとクンクンとスニッフィングすればスティービー・ワンダーの「Superstition」のような、クラビネットによる70年代ソウルやファンクの香りまで辿れる。

 電子音楽のエフェクトと、それらより遥か昔から存在していたムックリにフィジカルレベルで共通点があった。自分が違う引き出しにしまっていただけで、伝統だ現代だと分ける必要も、国やジャンルを分ける必要もなかった。サヤカちゃんは最後に母・ヒロコさんをステージに呼び込み、おばあちゃんから伝わったヤイサマ(即興歌、抒情歌)を響かせた。

 4組目、リノちゃんとセイヤ君のユニット「ankes(アンケㇱ)」がウポポ、イウタウポポ(杵つき歌)などを披露。さらに続いて「平取アイヌ文化保存会」。地域に伝わる舞踊や歌の保存と普及を行う、40年以上続く団体だ。「これから沙流川に昔からある踊りをします」とアイヌ語であいさつし、次々と古式舞踊を舞った。ホコㇰセなどと呼ばれる男性の低く唸るような声やホロㇿセが、空間を埋め空に昇る。歌と踊りが不可分なものとして表現されていく。元々のアイヌの生活そのものには歌やリズムやメロディーが溢れていた。

 トリを飾る「Ainu Art Project」を前に、リョウ君が再度マイクを握った。「今回で11回目。ここまで繋いできた先輩、協力してきてくれた皆さんに大きな拍手を!」と感謝し、会場に来ていたウレㇰレクを始めた時の青年部長のマサユキさん、モンちゃんの一つ前の部長のトシヤさんにもシャウトアウトを送った。

 夜が降り始めてきた。Ainu Art Projectは2000 年に札幌で結成された、アイヌ伝統文化と現代アートの融合を図る道内外でパフォーマンスを行うグループだ。この日のステージでもムックリやトンコリ(伝統的な弦楽器)とギター、ベース、シンセサイザー、ジャンベ、カホンが歌声とも重なり合い、伝統と現代が融け合っていくようにクロスオーバーしていく。フロントマンの結城幸司さんの「ホイヤーホー」の掛け声でコール&レスポンス。会場の一体感が上がっていく。

 「マクナレラ」で観客たちがステージの前に集まり始めた。観衆が輪を作り出し、全体が横っ飛びで回りながら輪踊りが始まる。会場の一体感が高まる。そのまま「サルキウシナイ」。音楽と歌声に合わせ、横にいる人達とバイブスを合わせながら跳び続けると、疲労以上に陶酔感が湧き上がってくる。人の輪の中に身を委ねグルーヴに没頭する。みんないい顔をしている。Kさんも気持ちよさそうに踊っている。筆者はずっとカメラを構えていたが、最終的にこの連鎖の引力に抗うことができず輪に加わった。アンコールの「喜びの歌」で約3時間のステージに幕が降ろされた。

 「どうでしたか?来年以降は、もっと地域の企業や人を巻き込みたいなって思っていて。それこそスパイスタイガー呼びたい、とか。少しずつでも規模を大きくしていって、フェスみたいにしていきたいんすよね」。終演後にリョウ君はそう話していた。

 自分の人生を顧みると、文字から情報を得る比率がとても高かった。活字や言葉をよるべにこの世界を分かろうとしてきた。結果的にそうなっていることに後悔はないが、この慣れきった方法ではなく、都会の生活や価値観ではカテゴライズしきれない世界の一端を五感で感じとれるから、二風谷や日高地方に惹かれ続けている。そう考えるとマヤちゃんが話してくれたことが体になじんできた。

 ウレㇰレクは今年も7月12日(土)に開催される。

「となりの二風谷#1オヒョウ剥ぎ」を読む

ライター/清水泰斗

1987年、東京の下町生まれ/育ち。ライター。日本中の工芸やニッチな特産品の取材、トラベルライティング、サウナや銭湯、エスニックタウン、アンダーグラウンドカルチャー、マタギ文化などにも食指。メディアも何もファストな時代ですが、ディティールを大切にする文章を書いていきたいです。日本語教師もしてます。

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