Hi-MAG北海道・日高の
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『日高にきた俺の物語』一章

『ひだか日和』

この春、俺は静内に生まれた

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東京・江東区、砂町で育った俺が、今は北海道・静内で生きている。

ここに来たきっかけは、俺の叔父——ケッポ、 芸名を御徒町凧(おかちまち かいと)といい、詩人として森山直太朗の作詞なども手がけてきた人。 どこか自由で、どこか不思議で、それでも“生き方そのもので伝える”ような存在だ。

そんなケッポが、北海道・静内でライブイベントを開くことになった。その会場が静内にあるスープカレー屋『スパイスタイガー』。ここで俺は、一人の兄貴と出会う。

スパイスタイガー店主のひろき君とは酒を飲み、サウナに入り、サーフィンして、笑って、語って 時にはくだらない話をし、時には恋愛や人生について真剣に語り合った。俺にとって、心の保健室みたいな存在になった人だ。

そこから、流れはどんどん広がった。ケッポが繋げてくれたのが、パイセンことひろしまさん 。新冠の久保田組の常務であり、ハイマグ(Hi-MAG)を支えるボス。そして、NO BORDERの社長。 建築も、飲食も、鹿製品のプロデュースも、なんでもこなす人で、自分の生き様を、行動で示してくれる存在だった。

さらにもう一人。伊藤組の常務であり、NO BORDERの専務、仲間内ではレオナルドジョージ(レオナルド・ダ・ヴィンチ×所ジョージ)と呼ばれるりょうすけ君。絵も、歌も、楽器も、ゴルフも、そして詩も、知識も——何でもできる男。詩人としての名もあり『ときおりつうふう』と言う。ハイスペックな男。それでも気取らず、自然体で語り合える、俺の尊敬する兄貴。

最初は、静内は“旅先”みたいな場所だった

でも、2回目に訪れたとき、ひろき君とりょうすけ君が俺に言った。

「おかえり」たったそれだけ、たった一言なのに、胸の奥がふっとあたたかくなった。  

地元でもない、長く暮らしていたわけでもない。それでも、この町が俺を「帰ってくる人間」として迎えてくれた。

探して見つけたわけじゃない。誰かに押し付けられたわけでもない。

自然に、当たり前のように ここが俺の帰る場所になった。

だから今、俺は静内に生きている。

ハイマグで、桜まつりで、ひろき君やパイセン、りょうすけ君たちと 一緒に笑い、悩み、前を向いている。

この春 俺は静内に生まれた

日高にきて初めて書いた詩を載せようと思う、何も考えずただ、手が動いたそれだけの詩。

詩『おかえりの町』

知らないはずの土地で

 「おかえり」って言われたとき 

胸の奥が、なんか、くすぐったくて 

少しだけ、泣きそうになった

家じゃないけど 

地元でもないけど 

ここにいていいんだって 

誰かが言ってくれたような気がした

焚き火の匂い 笑い声 湯気の立つスープカレー 

そんな全部が、俺の中で“居場所”になった

だから今、俺はここにいる 日高に、生きてる

この町で、また誰かが生まれるかもしれない.

——そして——

ここからは 静内で生きていく俺の日々を 少しずつ、少しずつ、綴っていく。

きっと 笑ったり、悩んだり 時には立ち止まったりしながら、それでも、前に進んでいくんだと思う

次回 「俺らの夏フェスは、BBQから始まった」 — 俺たちの新冠の夏が、ここから動き出す—

この物語には沢山の人が登場する、そんな気がする。