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素敵な“私”に会いに行こう

 皆さん、こんにちは。浦高生ふるさと応援隊の大空優太です。
 2023年度最後の日に、ここHi-MAGで、浦河町にある高校生団体【浦高生ふるさと応援隊】の蹄跡をお話しさせていただきました。
 (先日の投稿をまだ読んでいない方は是非、コチラからご覧ください)
▷▷https://www.hi-mag.jp/articles/1318/

 2024年度に入り、私ごとですが社会人としての一歩を踏み出し始めました。
 「働く」という行為は思っていた何倍も責任感を伴うものであり、何気なく周りにいる「働く人」のすごさをひしひしと感じております。

 そんな社会人生活をスタートさせつつも、関わり続けているのがこの団体。
 学年が学年が一つ上がった現役の隊員たちのエネルギーは、いつも私に勇気を与えてくれます。
 今回は、そんな団体の始まりである【第1期】の頃のお話を。

 タイトルにもある『素敵な“私“に会いに行こう』は、第1期の初回イベントの名前。北海道の端っこで小さな産声をあげたその団体のはじまりの記憶を振り返っていきます。


頓挫した課題研究

 皆さんは、「課題研究」という言葉をご存知でしょうか。総合的な学習(探究)の時間と呼ばれるその時間は、学習指導要領の改訂に伴い、どの学校種でも推進されたものです。いわゆる「総合の時間」は、耳馴染みのある方も多いと思いますが、総合的な「探究」の時間が今の学校では設定され、予測困難な時代を生き抜く、切り拓く力を育成することを目的としています。

文部科学省|総合的な学習(探究)の時間
*【高等学校編】には浦河高校の先生の言葉が載っているのです…!

2019年度の成果発表会の写真

 私の所属していた北海道浦河高等学校は、日高では唯一の総合学科の高校。地域に開かれた学校として、全国でも有数の総合的な探求の時間を推進している学校でもあります。
 当時、高校生だった私の探究テーマは「自己肯定感」というワード。心理的な専門ワードとしては、広く知られているであろうこのワードに、当時の私は大きな関心を持っていました。大前提、心理学を本格的に学ぶ場は公教育ではあまり用意されておらず、少ない引き出しのうちの関心ではあったこのワード。自身の過去と結びつけることで、教育現場において、「心」という側面に向き合うことの重要性について問いたいと考えるようになりました。

『早いうちから自身の特性や心、他者の心理と向き合う機会が用意されていれば、発達にどのような影響を及ぼすのだろうか』
『学校現場において、心を考える授業がないのはどうしてなのだろうか』
『過疎地域とそうでないと地域とで、自身を認められる子どもの割合はどのくらい違うのだろうか』

 浦河町で生まれ育ったからこそ生まれた問いたちに、グループのみんなと探究を重ねた高校3年生。しかし、授業の時間だけでは限界がありました。問いを元に仮説を立て、自分たちで情報を集める。ここまでで、私たちの探究は止めざるを得なかった。
 結果的にこの出来事は、自身の大学を決める上での大きな分岐点の1つとなるのですが、当時高校生、探究中の私たちにとっては、道半ば。私たちの探究は、追求すること叶わず、終わりを迎えました。文字通り、「頓挫」。

 そんな、不完全燃焼の私が出逢ったのが、前回のお話でも登場した浦河出身の大学生。ここから、浦高生ふるさと応援隊の歯車が小さな音を立てて、動き始めました。



動き出した学校外での歯車

休み時間に撮った初めての集合写真

 始めるにあたって、真っ先に行ったのは「仲間集め」。できれば「後輩」を集めたいと思い、2年生教室に何度も足を運びました。しかし、高校時代の先輩といえば、どことなく「こわい」雰囲気があるというもの。ましてや、その先輩から誘われるのは、いままで聞いたこともない「未知」のもの。うん、こわい。
 でも、そんな状況を意にも介さず飛び込んできてくれた人たちが4人。この4人は、私が卒業した後もこの団体を「続ける」という選択をし、他者を巻き込み先導してくれた超重要人物たち。この人たちのおかげでこの団体はいまも続いていると言っても過言ではないのですが、その話はまた今度。

 そんなこんなで始まった団体は「浦高生ふるさと応援隊」。3年生5人、2年生4人の計9人での船出となりました。待っていたのは未知の日々。”自分たちで”、”0から”、組織を形成し、プロジェクトを立案・進行していかなければなりませんでした。まっさらなキャンバスに自分たちの色を塗っていくことは、一見すると自由で、簡単なことのように思えます。しかし、0から始めるということは、自分たちの使っていい色が分からないということ。”なにいろ” なのか、”なんしょく” なのか。色の種類や数だけでなく、塗り方や完成図、そもそものペンの持ち方すらわからなかった。
 動かしていた原動力は、論理的でも崇高なものでもなく、心からのわくわく。「これをやり切った時、どんな世界が待っているんだろう」という未来への希望は、未知への恐怖なんぞ、易々と打ち砕きました。高校生という圧倒的な未完成は、無鉄砲ラインぎりぎりの思い切りの良さを兼ね備えている。私たちが無鉄砲にならなかったのは、確実に、ずっと隣で走ってくれていた大学生が居たから。普段学校では浴びることのない質の問いを沢山与えてくれた。その行為は、私たちにペンを持たせ、荒い色使いを外の人が見える形に整えてくれました。

『このプロジェクトを進めることにはどんな意義があるのか』
『心と向き合ったと言える状態はどんな状態なのか』
『そもそも高校生の私たちが提供できる価値とは何か』

 誰かに何かを提供するということ。その行為には、受け取ってくれるその人の時間や空間、大きく言えば人生が関わってくる。「責任」という言葉の意味を全身で受け止めたのはこの時が初めて。「誰かの時間を使わせてもらって初めてできる」という実感は、高校生であった私たちの純粋なワクワクを、より深く、重たいものにしてくれました。“ただやる“のではない、という感覚は私たちのさらなる原動力となり、高校生という枠を超え、「私たちだからこそ生み出せる価値」を追求していく動機となりました。

 日中は学校に行き、家に帰ってからはZOOMでMTGをする。企画・運営・広報のチームに分かれイベント当日の素敵な瞬間のために議論する日々。
 ありがたいことに、快く受け入れてくださった浦河小学校の協力のもと、このプロジェクトは日に日に形になっていきます。

浦河小学校との打ち合わせ写真

創れ、心の授業!

 学校の探究学習から発展したこの団体。最初に行うプロジェクトは、授業の中では辿り付けなかった心の授業を実際の小学生に行うことに。
 対象は、中学生になる前の小学6年生。そして最高学年になる前の小学5年生。計49名。この学年を選んだのには明確な理由がありました。

 そもそも、心の授業とは何なのか。
 私たちは先述した通り、「自己肯定感」というワードに関心を持っていました。この言葉は、文字通り自分自身のことを肯定的に捉えられるかどうかという心理的観点のこと。この自己肯定感の形成には、幼少期の頃の経験や環境が一つの大きな作用として働いているのですが、当時高校生である、ましてや車で2時間圏内に大学がない私たちに学術的な観点などはなく。あくまで、自分たちの経験からくる仮説の域を出ないものではありましたが、それでも高校生なりに思考を深めた。 ー地方に住む子どもたちにとって、自己肯定感の高低差はどのような影響を及ぼすのか。だからこそ、自分たちは何を解決するために、どんなことをするのかー そんなことを必死に考え続けました。

 当時の仮説はこうでした。
ー地方に住む子どもたちは、その閉鎖性から、幼少期から変わらぬ他者と自身を比べる出来事が、都市部と比べ多いのではないか。誰かより劣っている何かがある。その大小は問わず、そんな自身への黒い感情は、年を重ねるごとに自身を蝕んでいくのではないか。何かに秀でた同級生は、早いうちに都市部へと向かい、残されたのが私たち。自分を知り、外を知り始める児童期から青年期にかけての期間に、そういったショックが降り注ぐ。結果、自身を肯定できる要素は少なくなり、その気持ちは自身の人生の幅を狭めていってしまうのではないかー

 だからこそ、ある程度自己形成が成されてくる中高生や、まだまだ自分すらわからない小学校の低い学年の子ではなく、小学5、6年生という子どもたちが自分や他者の素敵なところを知る機会を創ること、つまりは“私“を知る機会を創ること。そんな機会が一度でもあったことは、その後の学校生活において自分や他者を尊重することへの意識を育むきっかけとなるのではないか。能力ではなく、“私“という一人一人を見、自分や他者にほんの少しでもあたたかくなれたらいいなと、そんなことを思ったのです。

 そこで実施したのが心の出前授業。
 小学校の授業の時間を丸々2時間お借りし、それぞれの学年に1時間ずつ、心と向き合うだけの時間を創りました。
 1時間という短い時間の中で何かを劇的に変えることなどほぼ不可能に近い。ましてや「心」と真に向き合うのであれば、何度も何度も実証を重ね、中長期的に考えていく必要がある。そんなことはわかっていました。ただ、私たちは高校生で、何度も何度も関わることもまた、不可能に近いこと。私たちが創る限定的な非日常が、日常に戻った時のちょっぴりの支えや、気付きであればいいなと。そんな時間になることを願い、「素敵な“私“に会いに行こう」というタイトルをつけました。

イベント当日のポスター

 当日は、3つのプログラムを実施。
 1つ目は、ふわふわ言葉の木。グループに分かれるが、まずは個人で。自分が今まで言われて嬉しかった言葉、本当は言われたい言葉を好きな色の付箋に書き出す。書いた付箋をグループごとに白い画用紙に貼り付け、お互いの付箋を眺める。その画用紙を集め、あらかじめ作っておいた木の幹に付けていく。木には、さまざまな色で書かれた、小学生のふわふわな言葉たちが。それを、全員でじっくりと眺める。
 「この言葉、確かに嬉しい!」「俺はこんな言葉(友達に)言ったことないな」
 本当にわいわいと、みんなで言葉を眺めました。このワークは、自分と向き合うことを大切に。

完成したふわふわ言葉の木を眺める子どもたち

 2つ目は、Xさんからの手紙。先ほどのグループで、ランダムに手紙を送る人を決め、みんなが書いたふわふわ言葉を使って、普段は言うことのない、自分から見た相手の素敵なところを自由に書いていきます。ルールは1つ。「ちくちくした言葉は使わないこと」自分が言われて嬉しいと思う言葉を、木を自由に眺めにいきながら、綴っていきます。書き終わった後はお互いに渡し合い、もらった言葉を眺める時間に。
 「俺そんなことないよ!」「なんかすごい嬉しい」
 他者の素敵なところと向き合い、そして、他者から見えてる自分の素敵なところと向き合う時間に。

高校生と一緒に手紙を書く

 3つ目に、高校生の過去と今。同じ町で生まれ育ち、一番身近な高校のお兄さんお姉さんである私たち浦高生ふるさと応援隊の隊員が、小学生に向けて、自身の過去と今を伝える時間に。話を聞いてくれた小学5、6年生と同じ年のとき、自分は自分をどう見てたのか。当時はうまく言葉にできなかった感情や出来事、想いを言葉にして伝える。
 年齢が先生よりも近く、自分の何年後かの未来の姿である、なんかかっこよく見える高校生の自己開示と、自分は自分でいいのだというメッセージを伝える時間。決して美しい出来事でも、上手なプレゼンでもなかったはず。でも、写真を見てもわかる小学生たちのまっすぐな目を、私はいまでも覚えています。

まっすぐな目で見つめる先は

 イベントの前後にとったアンケートでは、「これから頑張りたいことはありますか?」という質問の回答が全体的に向上していたり、「自信がない→ある」「恥ずかしかったけど気持ちを伝えることができた」「もうあと3回はやりたい」という感想が寄せられました。

 たかが一回。この結果は妥当であるとも、信頼できるとも言うことはできないでしょう。その日以降の子どもたちの姿を私たちは知らないし、ましてや日常でどう活かされたかもわからない。目に見える意味があったのかと問われれば、大きくうなずくことは難しいでしょう。それくらい、イベント終了後は無力感に苛まれました。
 と同時に、多くの“私”にとって、大きな意味のあるイベントになったと。これだけはちょっぴり自信を持って言っていいのではないかと思えているのです。”たかが1回”。この1回が、時に良い記憶となり、時に自分を立ち止まらせ、時に大きな後押しとなる。「0ではなく、1はある」。この事実が、2を、10を、100を創っていくのだと、そう思います。本当に小さな小さな出来事でも、0ではないのであれば、意味があるのだと。そのあとどうしていくのかはまた選択の連続で、もしかすると限りなく0に近いところまで戻ってしまうのかもしれないけれど。それでもまた、何度でも選択できる。そうやって、この1がこの場に居たみんなの中に事実として残ってくれていることを願ってやまない。そして、少しでも自分や他者にあたたかく在れていることを願っています。
 全くの赤の他人でも、その誰かの、ちょっぴり明るい未来を願うことができる。そんな自分であった。そんな自分に出会えた。いつの間にか、この企画をした私たちが、自分も知らない”私”に出会えていた。こうして、素敵な”私”に会いに行こうは、それぞれがそれぞれの”私”と向き合い、大きな笑顔で幕を閉じました。

いい笑顔だね


終点の先に

 ありがたいことに、当日の様子は北海道新聞、浦河町の広報とYouTubeに掲載をしていただきました。それだけに留まらず、NHKでは5分間の特別番組として取り上げていただき、全国版での再放送もしていただくなど、沢山の人の手を借りて、自分たちだけでは届かない、びっくりするような場所にまで、届けることができました。

番組のサムネイル

 そしてまた、私たちの”たかが1回”は、終点だと思っていたそのレールを伸ばし始めます。
 イベントを行った1か月後。2020年3月、私たち3年生は浦河高校を卒業しました。それと同時に、1を2に、10にしようと、一緒に関わってくれていた2年生が動き始めてくれたのです。

 その間、TVに映し出されていたのは、とあるフェリーの映像。そうです。私たちが卒業する本当に直前、新型コロナウイルスと呼ばれるその未知なるウイルスがとてつもない勢いで世界の常識を変えていきました。私たちの卒業式は、コロナの影響を初めて受けた卒業式となり、両親に見送られることも叶わぬまま、浦河高校を後にしました。当然のことながら、このコロナウイルスは、私たち浦高生ふるさと応援隊のレールの前にも現れて。
 次回は、浦高生ふるさと応援隊が現在第6期まで続けることができている。その、大きなターニングポイントとなった、第2期のお話を。コロナ禍での体験を含め、当時の隊長だった金子がお届けします。
 ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

浦高生ふるさと応援隊 第1期隊長
大空 優太

最後に好きな写真を


information
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2019年12月、浦河町にて立ち上がった高校生だけの学生団体。
町を取り巻く様々な出来事と高校生の「やりたい」を交ぜ合わせ、町のさらなる活性化を目指す。現在は第6期目。

大空優太
2001年生まれ。浦河町出身。浦河高校卒業後、宇都宮大学共同教育学部教育心理分野に進学、2024年3月に卒業。同年4月に株式会社LITALICOに。現在は児童発達支援員として療育の分野に携わる。
高校生時代、初代隊長として浦高生ふるさと応援隊を立ち上げた。現在は団体責任者として高校生の伴走支援を行う。