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『日高に来た俺の物語』四章
コズミック祭り編

気づいたらコズミック祭りでした。

俺の物語、第四章

今回は「日高コズミック祭り」の話。

と言っても、祭りの内容を細かく紹介したいわけじゃない。俺がこの祭りに関わって、何を見て、何を感じたのか。終わってから少し時間が経った今だから思う事を書いてみようと思う。

始まりは、ただのBBQ

もともとの始まりは「山の家フェス」だった。

最初は10人くらい。音楽をやってる仲間が集まって、山の中でBBQをして、そこにPAを置いて音楽を鳴らして遊んでた。それが次の年、また次の年と少しずつ人が増えていった。

山の家フェスについては、俺の物語の二章で書いてあるので、よかったらそっちも読んでみて欲しい。

あの頃はまだ、仲間たちとの遊びだった。

それが気づいたら、「判官館でやろう」「1000人呼ぼう」そんな話になっていた。

正直、最初は誰もリアルじゃなかったと思う。

NIKAPでアーティスト呼んで、LIVEビアガーデンくらいがいいんじゃないか。そんな話をしていたのが、確か2月とか3月くらいだった。

時間もない。前例もない。1000人なんて本当に来るのかもわからない。

それでも、御徒町が「俺はやる」と言った。

日高という場所の魅力を、もっと外に伝えたい。

そこから一気に話が動き始めた。

気づいたら、本当に祭りを作ることになっていた。

開催日を決めたはいいけど、初めての事ばかりだった。

プロの人達にも入ってもらいながら、現地ではポスターを配って、ビラを配って、色んな場所へ足を運んだ。まずは「御徒町凧って誰なの?」「日高コズミック祭りって何なの?」そこを知ってもらうところからだった。

もちろん、会場の事だけを考えればいいわけじゃない。

熊の問題もある。新冠は牧場の街だから、馬をはじめとした動物達への影響も考えなきゃいけない。許可をとって、確認して、また誰かに相談する。

表からは見えない所で、沢山の人が動いてた。

そんな中で、御徒町が話していた事がある。

(地域のことを話してる人は沢山いる。「もっとこうしたい」「日高を盛り上げたい」そう思っている人も沢山いる。

じゃあ、なんで一緒にやらないんだろう。)

もちろん簡単なことじゃない。考え方も違うし、仕事もあるし、立場も違う。

でもこれは、日高だけの話でもない気がする。何かを変えたいと思っている人がいても、それぞれがバラバラに動いてたら、大きな力にはなりづらい。

1人では出来ない事を、みんなでやってみる。

御徒町はそれを言葉だけじゃなく、自分で動きながら伝えていたように俺は見えた。

でも主催者だって体は一つしかない。

東京と北海道を行き来していたし、地元で動ける人達にも当然それぞれの仕事がある。ずっと祭りのためだけに動ける人なんて、ほとんどいない。

そこで生まれたのが「コズミッククルー」だった。

最初はみんな、「ちょっと手伝おうかな」「御徒町の動きを少しでも助けられれば」そんな感じだったんじゃないかと思う。

でも、始まってからみんな凄かった。

自分の仕事や得意な事を活かしながら宣伝してくれて、色んな場所に顔を出してくれ、何よりも自分たちも楽しみながらコズミックを応援してくれてた。

本当に感謝してる。

最高のクルーだったと思う。

そして今回、俺が特に感じたのがSNSの力だった。

東京に住んでるSNS担当者は、さすがプロだった。限られた時間の中で素材を作って、形にして、どんどん外へ発信していく。

最初は新ひだか町のしずない桜まつりの出店からだった。

俺自身もSNSに関わっていたけど、本当に俺個人の感覚で言えば、SNSがなかったらここまでの祭りにはならなかったんじゃないかと思っている。

完成したイベントを見せるだけじゃなく、誰が動いているのか、何を考えているのか、どんなふうに祭りが作られていくのか、そこまで伝えられた気がしている。

正直、最初はネガティブだった

俺自身は、最初から全部に前向きだったわけじゃない。

むしろ最初は、少し拒絶するような感覚もあった。

東京から来る人達と、日高で毎日生活してる人達では、どうしても温度感が違う。

御徒町が言う「日高7町の魅力を伝えたい」と言う気持ちも、ここでずっと暮らして来た人たちにとっては、その魅力自体が日常であり、当たり前でもある。

だから最初は、うまく噛み合っていないように見えていた。

東京と北海道では流れている時間も違う。

東京と北海道を行き来しながら見えている景色と、静内で毎日生活している俺に見えている景色も違う。

どっちが正しいとかじゃない。

ただ、そのズレは確実にあったと思う。

準備期間には、御徒町とも何度もぶつかった。

御徒町は俺にずっと言っていた。

「お前は他人事なんだよ」

「お前だけはそうはなるな」

正直、凄く考えてたつもりだったし、言われてる時は「どの立場だよ」と思ったこともある。

でも、終わってみると、少し違かった気がする。

誰かがやる事に乗っかるだけなのか。

自分もその1人として考えるのか。

似てるようで全然違う。

でも、同時に、もっと役割をはっきりさせる事だったり、もっと一つのチームとして動く事だったり、できた事も沢山あったと思う。

プロの人達以外は、御徒町も含めて、ほとんどが初めての挑戦だった。

そりゃ途中で訳が分からなくもなる。

「あいつがこうだ」「こっちはこうだから」そんな事も普通にあった。

そんな事も感じさせられた

Photo: haruto_pao__

8月29日・当日

正直、こんなに楽しく終われるとは思ってなかった。

ステージには最高に格好いいアーティストがいて、日高の方々のお店が並んで、子供達が遊んで、モルックをやって、色んなところから来た人が同じ場所で笑っていた。

終わった後には、「すごく良かった」「またやってほしい」そんな言葉も沢山届いた。

Photo: haruto_pao__

俺はまだ24年しか生きてない。

その24年間、御徒町とは生まれた時からずっと家族として一緒にいる。

叔父だからこそ近すぎて、普段は別に「格好いいな」なんて思ってみたことはない。笑

でも今回、こんなに格好いい人だったんだなと思った。

これだけの事を言い出して、色んな人に会って、何度も足を運んで、うまくいかない事があっても動き続けて、思考を止めずに祭りを形にした。

家族としてじゃなくて、1人の人間として、初めて尊敬したかもしれない。

俺がコズミック祭りで1番見してもらったのは、「やればできる」だった気がする。

ものすごく単純な言葉だけど、実際にやる人はそんなに多くない。

1000人なんて、と思っていた。時間がないと思ってた。日高でこんな事ができるのかとも思っていた。

でも、やった。

1人じゃなくて、色んな人が集まったからできた。

そして俺自身、まだまだだなとも思わされた。

みんながどんな気持ちで日高にいるのかは、俺には分からない。

でもきっと、ここに残ってる人も、ここへ移住して来た人も、何かしらこの場所が好きだから、ここに居るんだと思う。

俺もそう。

だから、「日高ってなんか良い場所だよね」だけで終わらせるんじゃなくて、その「良い」をどうやったら誰かに伝えられるのか。どうやったら面白くできるのか。

今回の祭りを通して、少し考えるようになった。

来年もやるか。

これからコズミック祭りがどうなるのか。

今の俺にはまだ分からない。

でも、もしまたやるなら、今回見えた事も、反省したことも全部持って、もっと最高のお祭りにしていけたら良いと思ってる。

………とは言いつつ、仲間だけでPA置いて、山の家でBBQしてた頃が恋しくなる時も普通にある。笑

結局あれが1番良かったんじゃね?とか思ったりもする。

たった10人くらいのBBQから始まって、気づけば1000人を呼ぶ祭りになっていた。

だから人生って、よくわかんない。

気づいたら、日高コズミック祭りでした。

そして俺からは最後言いたい事がある

祭り当日の打ち上げ。

牛タンが140枚くらいあったらしい。

俺は1枚も、1枚も食べれなかった。

ほんっとに食べたかった〜。

今回1番悔しいのは、それです。笑

ここまでが、俺から見た日高コズミック祭り。

じゃあ、この祭りを「やる」と言い出した本人には、この数ヶ月がどう見えていたのか。

『最後に、主催者・御徒町凧にも改めて話を聞いた。』

Photo: haruto_pao__

御徒町が最初に感じたのは、山の家フェスの可能性だった。

山フェスが終わった時、「もうここじゃ無理だな」と思ったと言う。それは悪い意味ではなく、人が増え、山の家という場所では収まりきらないほどの可能性を感じたからだった。

だから勢いのまま、「判官館でやるぞ」と号令をかけた。

そこから色んな事が動き始めると思っていた。でも実際には、やったことのない場所で、フェスをやったことのない人達と1から作るという事は、思っていた以上に途方もない事だった。

話はなかなか前に進まない。途中では「やっぱり無理なんじゃないか」という声もあった。

数ヶ月の準備について聞くと、御徒町は「ずっとイライラしながら、現実に向き合ってた」と話していた。

それでも、自分がやると決めた事だから、やれるだけのことはやろうと思っていたという。

SNSについても、最初はかなり抵抗があったらしい。

SNS担当者から「SNSやらなきゃ死ぬ」と言われ、「あれやって、これやって」と言われる事にも最初は抵抗があった。でも、「俺がそんな事言ってる場合じゃない」と、見よう見まねで初めてみた。

すると、やったらやっただけ反応が返ってくる。

そこで初めて、その効果を実感したという。

現地プロモーションは、さらに骨が折れた。

新冠や静内では知り合いもいるし、説明も早い。でも、それ以外の場所へ行けば、まず「自分が何者なのか」「なぜここにいるのか」と言うところから説明しなきゃ行けない。

何時間もかけて向かったのに、その日は結局誰にも会えなかった。そんな日もあったらしい。

「半ば心が折れかけてたのは事実」

そう話すくらい、地道な時間が続いていた。

そして当日。

数ヶ月間、現実と向き合い続けた御徒町に、判官館の景色がどう見えていたのか。

本人は、

「天国とか、夢の中みたいだった」

と話していた。

Photo: haruto_pao__

前日くらいから、アーティストや遠方の知り合いが1人、また1人と日高へやって来る。その景色を見ながら、結婚式や、もしかしたら葬式の時ってこんな気持ちなんじゃないかと、ぼんやり考えていたという。

そして祭りが終わった今も、「終わった」という実感はまだないらしい。

関わったすべての人に、もう1度会いに行って、一からちゃんと感謝を伝えたい。それくらい、周りの人たちへの思いは尽きないという。

もちろん、その中には苛立ちもあったらしい。でも、その苛立ちは自分自身の精神的な幼さや、未熟な部分から出たものでもあると御徒町は話していた。そしてそれは、不思議とそのまま自分に返ってくるとも。

来年について聞くと、答えは少し意外だった。

「今やりたいかって言われたら、全然やりたいとは思えない」

でも、やった方がいいんだろうなとも思っているし、やらざるを得ないような流れになればいいとも思っている。

ただ、初年度にやったことをそのまま繰り返すだけでは、自分が本来見たい景色にはたどり着けない。

御徒町が見ているのは、コズミック祭りそのものだけじゃない。

「日高というものを、どう活気づけるか」

日高一つ元気にできなかったら、北海道、日本、アジア、世界と、その先にある人間社会を元気にすることだってできないんじゃないか。

自分が生きているというエネルギーが、少しでもこの世界のためになればいい。

御徒町の中には、そんな考えがある。

もともと御徒町は、詩を書くということでそれをやってきた人だ。

だから、祭りのように行動を伴った活動まで、本当に自分がやる必要があるのか。そんな疑問も持っているという。

それでも、人との縁や流れは、自分が考えていることよりも大きくて、時にはもっと強い力を持っている。

その流れに乗って、ここまで来た。

御徒町が日高に通い始めて約5年。

その時間がなかったら、今回の景色は多分作れなかった。

コズミック祭りを終えて、良い意味で、

「一個やり終えたな」

そんな感覚もあるらしい。

Photo: haruto_pao__

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